私は今、オランダで生活をしています。オランダで生まれ育ったわけでもなく、配偶者がオランダ人というわけでもありません。つまり、私は移民としてこの国で生きています。
なぜ日本を出て、オランダで暮らすことを選んだのか、その想いについては以前の記事にまとめたので、よかったらそちらも読んでください。
👉「公務員を辞めて家族でオランダ移住」
自力でのビザ申請
私たちのような第三国出身の人間にとって、ビザ申請は「移民としての入口」です。
私はエージェントなどを使わず、必要書類の取得から申請、手数料の支払い、郵送、役所とのやり取りをすべて自力で行いました。
👉 ビザ取得の詳細はこちらの記事「オランダ_長期滞在ビザの取得」から
ほとんどの手続きはオンラインと郵送で完結しますが、いくつかは対面での手続きが必要になります。
その際、移民局、外務省、市役所と異なる窓口を回るたびに、担当者が「Welcome」と笑顔で迎えてくれるのが印象的でした。
異国での慣れない手続きに緊張していた私にとって、その一言はとても温かく、ありがたいものでした。
バスの中で感じた疎外感
ある日、ビザ申請書類を提出しに向かうバスの中、私はひとりで静かに揺られていました。
途中の停留所で、オランダ人らしき若いカップルが乗ってきました。彼らはオランダ語で会話を交わし、まるで自宅のソファのようにリラックスしながら、楽しそうに肩を寄せ合って過ごしていました。
そんな彼らを横目に見ながら、緊張気味に座る自分と対比して、「やっぱり自分は移民なんだな。」と実感しました。
もちろん、この時まだビザもなく、仕事もなかった私は、外から来た"余所者"であり、「お邪魔している」という感覚を持ったのは当然だったのかもしれません。
寛容と現実のあいだで
いま、世界では移民をめぐる議論が一層激しさを増しています。
日本でも「日本人ファースト」という言葉が政治的なスローガンとして使われるようになり、移民や外国人に対する不信や抵抗感が表出しています。
オランダの移民政策は、世界的に見れば比較的成功していると評価されています。社会の秩序は保たれており、オランダ人の国民性もあって、多様性に対して一定の寛容さが根付いています。
一方で、移民の増加が要因のひとつとされる深刻な住宅不足や、宗教・民族間の社会的分断、アイデンティティをめぐる対立も問題視されています。移民の存在を否定的に捉える国民も少なくなく、現在の政策のあり方が「最良の形」と考えられているわけではありません。
それでも、この国に「Welcome」と言われた
オランダは世界で初めて同性婚を合法化した国であり、古くから宗教や文化の違う人々を受け入れて成長してきました。多様性の中に自らの価値を見出してきた歴史が、この国を形づくっているのだと思います。
実際、今住んでいるアパートの下階のオランダ人夫婦は本当に親切です。
困っていることがあれば声をかけてくれたり、一緒に考えてくれます。
(これまでに、共有車庫に入らない大型自転車の置き場所を一緒に考えてくれたり、DIY中に苦戦していたら電動ノコギリを持ってきてくれたりしました。)
家にも招待してくれて、一緒にお酒を飲み交わすこともありますし、子どもたちのことも可愛がってくれます。
他にも、よく子供と出かける公園の近所のおばちゃんは、会うたびに声をかけてくれるし(道を挟んで、程よい距離感で優しく微笑んでくれます。)、外出時にすれ違う人たちは、ほぼ全ての人が笑顔で「Hi!」や「Heloo!」と挨拶をしてくれますし、時にウインクでコミュニケーションを取ってくれます。
「Welcome」という言葉の重み
このような経験からも、窓口で受け取った「Welcome」という形式的な言葉について、私は社会が示す意思表示のように受け取っています。
日本はこれから移民政策についてどのような舵を取っていくのでしょうか。
鎖国時代、唯一の貿易相手国はオランダでした。
現代のような流動化社会において、さらには日本の人口減少社会においては、移民政策は避けて通れないテーマです。
私がオランダで移民として生きる経験が、やがて日本で移民を考える際に役立つことを願っています。
そんなことを考えながら、これからもこの国での日々を歩んでいきたいです。